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なぜ糖尿病治療がうまくいかないのか?|医者と患者のニーズのズレを考察する

目次

インスリンメーカーの視点でインスリン市場を眺める

先日,山本雄士ゼミに参加して,某インスリンメーカーのケースを素材に学んできました.糖尿病内科医としていつもインスリンを処方していますが,インスリンメーカーの視点で糖尿病のマーケットを眺めたことは一度もありませんでした.

訴求点を探り,新たなマーケットを見つける

糖尿病患者のニーズは「現状維持」

糖尿病患者は自覚症状がほとんどありません.糖尿病になる前と,なった後で,血液検査の数値以外は何も違いがなく,自分の生活に全く支障がありません.

いずれ合併症や血管障害が,自分の身に降りかかってくると,医者や看護師から脅されたかもしれませんが,今のところは他人事です.まさか自分の目が見えなくなったり,心筋梗塞で死んだり,週3回の透析を受けるようになるなんて,遠い世界の話のようです.

糖尿病患者が今,糖尿病と言われた瞬間から,求めていることは「何も変わらないこと」です.ちょっとは食事に気を使ったり,運動したりするかもしれませんが,今まで通り,仕事の付き合いで遅くまで飲んだり,好きなお菓子屋さんのケーキやお煎餅を食べたりしたいのです.

インスリンメーカーに限らず,糖尿病治療薬メーカー,糖尿病内科医は,こうした患者さんのニーズに応えようとしているのでしょうか.そもそも,こんなわがままなニーズがあることを考えていたでしょうか.

私は考えたことなかったです.糖尿病内科医として,患者さんの血糖値,HbA1cを指標に,食生活を変え,間食をやめさせ,運動を促すことばかりに注力しています.

私の患者の中にも,いつの間にか病院に来なくなったり,通院は続けても生活改善は一切しない患者さんがいます.医者から見ると彼らは,コンプライアンスの悪い不良患者ですが,「現状維持」という欲求に最も正直に生活を送っているだけだったのかもしれません.

糖尿病内科医のニーズは「糖尿病完治」ではなく「糖尿病管理」

一方,糖尿病内科医のニーズは,可能であれば糖尿病を治したいです.しかし,現状では糖尿病が完治することは稀です.風邪や骨折のように病気が治って,患者さんとサヨナラすることはことはほとんどありません.

完治というものがないので,次善の策として,糖尿病を管理することが糖尿病内科医の仕事となります.HbA1cや血糖値などの指標を使って,合併症の発症,進行を抑えることを目的として食事・運動を指導し,内服薬,注射薬を処方しています.

合併症でよく知られているのが,神経障害,網膜症,腎症の3大合併症です.他にも心筋梗塞や脳梗塞といった血管合併症の危険性が高まります.

そういった合併症によって,糖尿病患者さんのQOL(生活の質)が損なわれないように,血糖値,血圧,脂質を適切に管理します.われわれが処方したお薬を飲むだけで適正値が保たれば簡単なのですが,患者さんの食事の内容が,そうした値に大きく影響します.

このとき,医者と患者のニーズが衝突します.血糖値を適切に管理したい糖尿病内科医と,好きなものを好きなだけ食べたい患者さんと,求めるものが食い違っています.

糖尿病患者と糖尿病内科医の妥協・交渉が糖尿病外来の現状

こうした,噛み合っていないニーズの中で行われている糖尿病診療は,糖尿病患者と糖尿病内科医の妥協点を探る,交渉であった,説得であったりします.

糖尿病外来の診察室では,患者と医者の双方の要望がぶつかり合っています.そもそも求めるところが違うので当然です.

医者は患者の将来の合併症予防を思い,食事制限と減量を勧めます.医者の思いが通じ,生活の見直しを真剣に取り組んでくれる患者もいます.

一方で,医者の心,患者知らず.患者は自分の生活の現状維持を望み,食事量も変わりなく,体重は増えつづけ,HbA1cは上がりっぱなしの方もいます.そういう方の意識変容を促すことは極めて難しいです.そこで,医者から妥協点を提案していきます.間食を全てやめられないならチョコレートだけやめる,煎餅だけやめる,菓子パンだけやめるという具合です.

妥協点から徐々に,体重が減る,検査値が良くなるという成功体験をもたらし,患者の行動変容を引き出す,というのが糖尿病内科医の常套手段です.

糖尿病関連ビジネスが満たすべき理想とは

医者と患者のニーズのアンマッチいう図式が見えてくると,究極的には「好きなものを食べながら血糖値が良くなる」という理想を求めます.

カロリー制限の範囲内なのに,美味しくて満腹になる食べ物の開発であったり,どんなに食べてもカロリーをチャラにしてくれる薬の開発でしょうか.ゼロ・カロリー食品はこのニーズを少しずつ満たしてくれてはいます.

医者側に妥協すれば,患者さんの行動変容をもたらすコーチング術もありがたいです.食欲抑制効果のあるGLP-1アナログの注射薬は食事量を減らすことができます.体への負担は大きいですが,胃を縛ったり,小さくする手術でダイエットする勧める例もあります.

では逆に,患者側に妥協した最も理想的な糖尿病治療は何でしょうか?残念ながら,糖尿病患者の「好きなものを食べたい」に歩み寄ったモノやサービスが見当たりません.かろうじて,難消化性デキストリンを使って,食物の吸収阻害,血糖上昇抑制をしている程度でしょうか.

誤解を恐れずに最高の理想を言えば,美味しい無カロリー食品が少しずつ通常の食事を置換し,必要な栄養素を摂取した後は,無カロリー食で満腹感を得るような近未来的ダイエットが,真の食事療法となるかも知れません.

まとめ

いつも医療者側の視点で眺めている糖尿病市場を,インスリンメーカーの視点から,患者側の ニーズを探る思考は新鮮でした.今回のゼミの着地点とは異なりますが,患者の価値の訴求点に重きを置いた糖尿病市場での破壊的イノベーションがどこにあるか,自分なりに考えてみました.1000万人の糖尿病患者と,さらに1000万人の糖尿病予備軍を抱える日本の巨大な糖尿病マーケットの中で,自分の立ち位置や,役割を考察した濃厚な時間でした.

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プロフィール

やさしい糖尿病内科医
山村 聡(やまむら そう)

九州生まれ、九州育ち、九州大学医学部卒。大学病院で糖尿病・代謝・内分泌内科助教、市中病院勤務後退局。フリーランスを経て、銀座有楽町内科院長。

病気を治療する医師であると同時に、生涯の健康を保つパートナーでありたいと思っています。

趣味はお酒と血糖値。診察室で患者さんと喋ることも好きですが、気のおけない友人とお酒を飲むことも大好きです。自分の幸せも大切にしながら,社会が豊かになることに貢献できたら最高です.

いつも最後まで読んでいただきありがとうございます.

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